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大阪の橋/歴史と文化を見る

大阪の橋

淀川・神崎川を中心に page  1 2

雪鯨橋
 宝暦6年(1756)、東淀川区にある瑞光寺と紀州太地との関わりから、高欄の骨を便った珍しい橋がつくられた。現在の高欄は昭和49年に太地町の協力でつくられたもので、5代目になるという。

交通 阪急上新庄駅下車、東南へ300m、瑞光寺境内
三国橋
   旧能勢街道が神崎川を渡る地点で、吉くから渡し場のあったところ。橋が架かったのは明治になってからで、現在の橋は昭和36年に完成。顕彰碑は南詰め西側にある。

交通 阪急三国駅下車、北へ100m
神崎橋
   旧中国街道が神崎川を渡るところで、吉くは神崎の渡しがあった。昭和28年に架けられた先代の橋は、わが国で最初の合成桁橋であった。現在、橋の高欄には弥生時代から古墳時代にかけて用いられた直弧文の文様が用いられている。顕彰碑は東詰南側の歩道内にある。

交通 JR加島駅下車、北西へ800mまたは阪急十三駅から市バス(幹97)で神崎橋下車、西へ250m
長柄橋
 古代の大阪は淀川と大和川の河口が1箇所に集まっていたため洪水が頻繁に起こった。ちょうどその辺りにあったと言われる長柄橋は、架けても架けても流されたため悲しい「人柱」伝説が生まれることになった。そうした説話の主人公である「巌氏」の碑がJR東淀川駅近くの大願寺に立っている。長柄橋が現在の場所に架けられたのは、大阪を洪水から守るために行われた新淀川(現在の淀川)の開削工事の後、明治42年のことである。その後昭和11年に近代橋に架け換えられたが、第二次世界大戦末期に直撃弾を受けて橋桁が損傷、多数の犠牲者が出た。南詰東側にはこれを供養するための観音像が建てられ、当時の弾痕が残されている。現在の長柄橋は昭和58年に架け換えられたもので、南詰の親柱には橋の由来を、北詰の親柱には古今集の和歌二首が刻まれている。また北詰東側の堤防上に明治42年当時の親柱が残されている。

交通 地下鉄天神橋筋6丁目駅下車、北へ900m、市バス(幹37、特27)長柄橋南詰停留所下車すぐ
毛馬橋・春風橋
 毛馬橋は、京街道へ通じる道筋にあたり、古くから渡し場が置かれていた。ここに橋が架けられたのは大正になってからで、その時の竣功記念碑が東詰北側に、顕彰碑が東詰南側に設置されている。毛馬桜之宮公園内の城北川に架かる春風橋は昭和53年完成の自転車歩行者専用橋で、毛馬で生まれた俳人与謝蕪村の旬『春風や堤長うして家遠し』から名づけられた。親柱に刻まれた文字は蕪村の筆跡を複写したもの。

交通 地下鉄都島駅下車、都島工業高校の前を通り、大川の東岸を北へ(1km)

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