文枝師匠が熊野を訪れた最初の場所である妙法山より、那智の浜の方角を見下ろす。熊野信仰と補陀落渡海のことが思い出された。
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自然への感謝を表現するための参詣道。自ら出向くことに意義がある
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高さ133メートル、幅13メートル、白い飛沫を舞い落とす滝が目前に迫ってくると、いよいよ「熊野那智大社」である。神々しいまでの大滝が自然への畏敬の念をいっそう深くさせるのだろう。滝壺拝所に雪のように舞う水飛沫の洗礼を拭う人はいない。
熊野那智大社宮司の朝日芳英さんは、「地球上に水があったから緑が育まれ、森が生まれたのですね。まさしく水は生命の母。自然の恵みが豊かに残る熊野へは、拝むというより、詣でていただくことが何より。自然への感謝を表現するために出向く、つまり詣でることに意義があるのです。参詣道はその土俵にほかなりません」と説く。
そして時代が要請した世界遺産登録は、自然の中に心を見る日本人の宗教観を包含した文化的景観を後世に遺していくステップであると力を込める。「注目されることで詣でる人が増え、詣でた人がまた、その素晴らしさを伝えていく。世界遺産登録は、この連鎖の始まりなんですね」と師匠と菜穂さんは深くうなずく。
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心も体もリフレッシュ。熊野には精神的な座標軸がある
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山の中腹にある熊野那智大社から、もう一踏ん張り上をめざせば、女人高野と呼ばれた妙法山が待ち受ける。「この山は私が熊野に足を踏み入れた最初の場所。かれこれ14年ほど前、修験者の方に同行させてもらったことがきっかけで、以来、熊野を訪れる機会が増えたんです」
師匠は熊野の奥深さを開眼させられたという山の頂きに立って、弾む息を整える。亡くなった父母に出会えるという伝説から、霊がのぼるともいわれている妙法山。山岳信仰が息づく山は眼下に勝浦湾をおさめ静寂だけを奏でる。
クライマックスは本州最南端・串本町にある紀伊大島。「水平線を見ていると、この向こうに何があるんだろうって思ってしまう。父のエネルギッシュな好奇心は、熊野が湛える原風景に培われたのかもしれませんね」と菜穂さんは遠くを仰いだ。
仕事に多忙を極めていた父が、家族の絆を取り戻すため、あるいは一人の人間としての居場所を失ってしまった苦しみから這い出すためだったかもしれないけれど、そのとき父がハワイに用意した家も山と海に囲まれた、まさに熊野的なロケーションの中にあった、と菜穂さんは述懐する。
1990年、中上健次さんによって設立された「熊野大学」は、毎年8月に夏期セミナー開催を続行している。「私たち家族にとっての1年の始まりは、まぎれもなく8月。夏期セミナー参加を兼ねて帰ってくる熊野ですべてをリセットするんです。東京に戻るときは、心も体もリフレッシュしてピカピカに(笑)。私の陶芸がざんぐりした熊野のイメージを求めるように、精神的な座標軸も熊野にあるのです。私の中で父が生き続けているように…」
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―ほな、こないしまひょ、わたいがお父っつぁん背たろうて上がりますわ、それやったらよろしやろ!
……お照、聞いてくれたか! えー、いつまでも頼んないと思てた倅が、わしを背たろうてくれるやなんて。八咫烏様、これもみんな、熊野の神様のお陰でございます!―
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さてさて、お後がよろしいようで。 |
和歌山県広報室/提供
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